【ミスター・ガラス】でシャマランが本当に言いたかったこととは?ネタバレあり、個人的感想(レビュー)
2021/05/11
【ミスター・ガラス】
2019年 アメリカ
2000年に公開された映画「アンブレイカブル」、2016年公開の「スプリット」に続く世界を描くM・ナイト・シャマラン監督の最新作。
●あらすじ●
大量殺人を犯したミスターガラスが収監されている精神病院に「ビースト」と「監視人」が集められた。不死身の肉体を持つ監視人、デヴィッド、24人もの人格を有する多重人格者ビースト、ケヴィン、天才的IQと生涯で94回も骨折した脆弱な肉体を持つミスター・ガラス。彼らには自分がヒーローだと信じているという共通点があった。精神科医ステイプルは、すべて彼らの妄想であることを認めさせようとするが、、、。
【ミスター・ガラス】の感想・レビュー
有名な映画レビューサイトで調べてみると、【ミスターガラス】の評価はそれほど良くない。星5つが満点のところ、平均は3.5だ。投稿されているレビューを見てみると、星を5つつけている人1つだけの人が目につく。つまりは評価が両極端に分かれてしまっている。ハマれば大絶賛、ハマらなければ「なにこれ」状態だということだ。
では私はどうだったのか?と言うと、、、、難しい。点数をつけるなら、4点くらいか。ひよった訳じゃない。この映画は普通のセオリーとは別の、評価外に位置付けられる映画ではないかと思ったからだ。ある面で言えば2点くらいだし、かといって別の面から見れば5点、いや6点くらいつけてもいい気がする。そんな映画だ。一体どこが悪かったか?そしてどこがよかったか。それを説明するのも難しい。なにしろどちらも同じ点を説明することになるからだ。
少し長くなるかもしれないが説明してみよう。
まず、どこが良くなかったかというと、ヒーローの造形である。これは低評価をつけているレビュワーたちの多くが言っていることだが、ヒーローがあまりかっこよくないのだ。
アベンジャーズのような派手さもない。X-MENのような飛び道具もない。バットマンのようなゴージャスさもない。また彼らが住む異世界だって存在しない。
見た目はごく普通の人間で、できることといえば鉄のドアを破ったり、パトカーをひっくり返したり、壁を登ったりするだけ。
いや、それでもすごいには凄い。だけど….びっくりするくらい凄くは…ないよね。(ジェームズ・マカヴォイの芸達者ぶりにはびっくりしたけど)ヒーローというにはあまりに地味だ。
ちょっと頑張ればできそうなくらい、、、、のパワーなのである。
実際、車をひっくり返せる男はびっくり動画とかでみたことがある気がするし、デイビッドは鉄の扉を壊した時点でちょっと肘がいたそうだし笑
なんていうか、めちゃくちゃ親近感が湧いちゃう感じ?
しかも!善玉ヒーローであるはずの「監視人」ディビッドは、ビーストを倒しもしない。あろうことか…(ネタバレになるけど)人間に殺されちゃう!
どんなにボロボロになろうとも、自分の命をかけてでも、最後は善が悪を制す!!そんなカタルシスこそヒーロー映画の醍醐味のはずなのに!!
それが…「ない」!!
これは…一体どういうことなんだ!?
ミスターガラスはヒーローものではなかった!?
ちょっと話がさかのぼるが、前作の「スプリット」。この映画を見た時、私を含め多くの人が「アンブレイカブル」のディビッドの登場に熱狂したと思う。
なるほど!シャマラン監督はヒーロー映画を撮りたかったのか!20年の歳月を経て完成するシャマラン風のヒーローもの!これは凄そう!!おらワクワクすっぞ!!と思ったはず。
だけれども!蓋をあけてみればこの映画はヒーローものでは「なかった」!?
あえてこの映画をヒーローものとして定義し、評価するならば、ヒーローがあまりかっこよくない、あるべきカタルシスがないという点で低評価になってしまうのは当たり前だ。
レビューサイトで1点をつけた人たちの気持ちもわからなくもない。
私も映画序盤の盛り上がりのなさに沈黙したし、わかりにくい展開に「どうなのこれ」と思ったし、人間に殺されちゃうヒーローたちに「えっ、生き返るよね!?」と心の中でつぶやいた。
生き返らないと知って、「えっ、うそうそ、なんでなんで?」となったし、どこがヒーローやねん!とつっこんだ。
だけど、、、である。
この映画はこれで終わりではない。劇中で【ミスターガラス】が言ったように、これは増刷版ではなく始まりなのだ。
すべての真相が明らかになった時、映画はまったく別の意味を持って生まれ変わる。そう、まるで【シックスセンス】のように。
精神科医ステイプルこそ悪だった!?
この映画のすべての真相は精神科医ステイプルが握っていた。最初からなんだか妙な雰囲気だなと思っていたら、彼女こそ真の黒幕。いや、ヒーローと言うべきか?
彼女は世界の秩序を守る秘密結社の一員だったのだ。この秘密結社はヒーロー(超人的な動きを見せる人間)を発見したら、抹殺し、すべてのデータを消去している。
なぜヴィランだけではなくヒーローまで消す必要があるのか?それは善があるところには悪が生まれるからである。
世界の恒常機能?と言うべきか?強大な善は強大な悪を生むらしい。
これはアンブレイカブルでもテーマになっていたことだ。
骨が折れまくる男がいれば、絶対に折れない男もいる。
世界はすべての均衡を保つ。
だからヴィランを抹殺するなら、ヒーローも抹殺されなければならない。
そうすることで世界の秩序は維持される。なるほど、新しい視点である。
この秘密結社の存在を知った上で映画を見返すと、謎だった部分がクリアになる。
なぜ彼女はビーストを抑え込む「光照射」の技術を持っていたのか?(これまでも使ったことがあったから)
なぜ彼女は一見無害そうなヒーロー、ディビッドにまで水責めや洗脳を行なったのか?(殺してでもヒーローでなくすことが目的だったから)
なぜ彼女はあんなにもミスターガラスを恐れ、カメラをつけたのか。また彼の頭脳を破壊するときに会えて光栄だと言ったのか。(彼が悪のヒーローであることを知っていたから)
そう。実はステイブルこそが黒幕だったのだ。ある意味彼女は「悪」だった。
悪であるからこそ、ディビッドが彼女に触れた時に「罪」が見えた。
そういう対立項でみると、彼らが倒さなければならなかったのは、ステイブルだったのである。
もし、ディビッドがもっと早くにステイブルの意図に気づき、ビースト、ミスターガラスとともに彼女を倒したなら?
エキサイティングな戦いが予想されただろう。
そして、映画はもっと面白くなっていただろう笑。
少なくとも、ヒーロー映画としては!!
この映画の意図・意味は?シャマラン監督が本当に言いたかったことに胸が熱くなる
だが!シャマランはステイプルを悪としなかった。
それはシャマランが描きたかったことではなかったからだ。
それに、彼女がヒーローとヴィランを殺していたのは世界平和のためだ。つまり、そのストーリーでは彼女は善なのだ。
ヒーローたちの死は、大きな善のための小さな犠牲ともとれる。
【アベンジャーズ・シビルウォー】ではヒーローが戦う時にでてしまう犠牲がテーマになったが、この映画では見事に解答を出している。
ヴィランとヒーローの抹殺こそが、世界平和を守るうえで最小の犠牲である、と。
ある意味これは気づきであり、悲しい真実なのかもしれない。
アベンジャーズが死ぬのは嫌だけど、彼らがいなければ少なくともロキは地球を襲わなかっただろう。
でも、シャマランが言いたかったのはそういうことではないし、この映画がMAVELへの皮肉な返答というわけでもないだろう。
なぜなら、さらに、最後のどんでん返しがあるからだ。
ミスターガラスはステイブルを出し抜き、ヒーローの存在を世界に知らしめるのである。
私たちは存在した、と世界に発信したのだ。奇しくもこれはミスターガラスの最後の言葉でもある。
そしてこれそ、シャマラン監督が言いたかったことでる。
存在することは隠されるべきじゃないということ。
存在するなら、「ここにいる」と叫んでいいということ。
善も。
あるいは悪も。
もちろん普通の人も。
そう。
なぜなら、それが「多様性」というものだから。
たとえそれが世界平和のためであっても、誰も抹殺されるべきじゃない。
誰もが、世界に存在するべき人間なんだと。
シャマラン監督はヒーローと孤独で悲しいヴィランたちをもって、世界に「多様性」を示したのだ。
ありえないほど、平等な視線。
これはシャマラン自身の国籍やマイノリティとしての自覚から来るものなのかもしれない。
彼自身はきっと、ヒーローよりもミスターガラスに感情移入するタイプなんじゃないかな。
ヒーローにはなれない。
でも、私だって存在する。
それでいいんだ。
その隠れたメッセージに気づいたら、最後には不思議な感動が胸にじんわり。
あ、やっぱりこれ、傑作かもしんないね!